引越し貧乏な彼女

広い家でも狭い部屋でも、たまには新しい雰囲気の中で生活してみたいと思うものです。そんな時、私はカーテンを新しいのにしたりベッドシーツ、掛け布団のカバーを新調したりします。模様替えもいいけれど、大きな家具を動かすのって結構面倒だし、思い立った時に一人ではなかなか簡単に動かせない物もありますよね。カーテンやベッドって結構視界の多くを占めてるのでそれが変わるだけでも簡単に気分を変える事ができます。動かしやすい物では本棚の位置を動かしたり、小さな物をちょこっと動かすのもいいですよね。なんだか違う感じがして嬉しくなります。そんな中、友達に引っ越すのが好きな子がいていつも引っ越し貧乏だと呟いています。でも新しい場所とかで発見をするのが大好きなんだそう。新地へ移動すると心機一転がしやすいのもあるって。引越しするたびに要る物要らない物の整理も出来ていいと。まぁそうはいっても彼女の職場の事もあってあまり遠くへは行けないので、限られた範囲内での引越しを楽しんでいる様子です。また来月引っ越すと言っていました。今まではと違って結構遠い場所で、お家賃の割には広い部屋だと話してくれました。引越しが終わったら新居伺いしようと思っています。

麦茶の意外な効能とは

読書をしながら、インターネットをしながら、あるいは外出をするときにはマイボトルにお茶を入れています。カフェにはいったり、コンビニで飲み物を買うこともありますが、一番は自分で茶葉から入れたお茶が飲み慣れていて美味しいと感じるのです。
私は暑いときでも、寒いときでも、麦茶を良く飲みます。アイスでもホットでもどちらでも美味しいのです。
麦茶といえば、小さい頃に外で遊んだ時に良く飲んだ、という思い出の人が多いかもしれません。大人になると、家庭で作らない限りあまり飲まないお茶だったりします。
夏になると大量に売られているので、たくさん買ってたくさん作っておくのです。
ノンカフェインで、あまり癖が無く、どんなシーンでも喉を潤してくれる麦茶。そんな身近な飲み物のことを、何となく本で見かけ、読んでみたらなかなかスゴイものであることが分かりました。
体にやさしく、喉を潤してくれるだけではありません。体をクールダウンさせてくれる効果から、虫歯予防、果てはミネラル分が豊富だというのです。こんなに安く、美味しい飲み物だったなんて…。見直してしまいました。
ただし、夏の水分補給は麦茶だけでは危険なようです。汗をたくさんかくので、スポーツドリンクなどで塩分も補給した方がいいとありました。

感謝したくなるような本

最近読んでいる本があるのですが、この本の素晴らしさになんだか毎日とても助けられているような気がします。
舞台は江戸時代あたりの日本なのですが、当時の人々の生活の慎ましさや厳しさ、その背景がまるで目の前で繰り広げられているかのようなその作風に、いつも引き込まれてしまいます。登場人物たちの素朴さや純粋さ、そして凛とした強さには頭が下がる思いがします。季節ごとの厳しさや美しさ、そういったものを、きっと今よりももっともっと近くで感じていたであろう当時の様子。私たちが今のこの生活の中に身を置いていられるのも、きっとこうした人々が築き上げてくれた礎の上に成り立っているのだなぁと思うと、知らず知らずのうちに感謝の気持ちが沸き起こり、普段イライラしてしまうような事柄や不満に感じているような出来事を、なんだか許せてしまうような気になるのです。
こんな風に自分自身の気持ちや考え方を前向きに、そして明るいものへと変化させてくれるような影響力のある作品を、きっと人は「良作」と呼ぶのでしょう。こんなにも心が温かくなる作品、そして、自分自身を素直に省みることが出来るようにしてくれる作品に出会えたことに心から感謝したいと思っています。

憩いの場所、図書館

暑い夏や寒い冬、過ごしやすい春に秋…。私はいつでも図書館を「憩いの場所」として利用させて頂いています。
どうしてもひとりカフェで本を開くということが出来ない小心者の私ですが、不思議なことに図書館なら抵抗なくひとりで何時間でも過ごせてしまうのです。おそらく、周りがみんな「本を読むため」「勉強するため」「調べものをするため」という似たような理由でこの空間に集っているという安心感が非常に大きいのではないかと思うのです。
カフェや喫茶店などではどうしても周りの雑音やら会話が耳に入ってしまいますし、なんとなく居心地の悪さを感じてしまうことがあります。しかし、図書館はむしろ周りに他の利用者が居ることで安心できてしまうという、まさに「図書館マジック」が効いているような気がします。周りはみんな同志だというような、妙な仲間意識も働くように思うのですが…。これは私だけでしょうか?
とにかく、私にとって図書館はなくてはならない大切な空間であり、ふらりと立ち寄ってしまう身近な公共施設なのです。こういった場所はやはり皆で利用してこそ価値があるのではないでしょうか。カフェへ行くような気軽さでたくさんの人が図書館を利用できるようになれば、蔵書ももっともっと充実していくのではないかと思うのでした。

言葉を知るために本を読もう

私の知人に、進学校の教師をしている女性がいます。その高校は「頭のいい人が入る学校」として昔から(私が現役高校生の頃から)非常に有名なのですが、その知人いわく、「進学校だと言われているけれど、それでも今の子供たちは言葉を知らなすぎる」と言うのです。
一体どうしてそう思ったのかと聞いてみたところ、感動しても「やばい」、焦っても「やばい」、何にでも「やばい」をつければそれで済んでしまうと思っているのだそうです。美しいものをみて、どのように美しいのかを表現することが出来ない。非常に焦っているときに、どのように焦っているのかを伝えることが出来ない。なにかにつけ、「やばい、やばい」を連呼するのだそうです。そういった原因のひとつに、やはり「本を読まないこと」が挙げられるのではないだろうかと彼女は懸念しているようでした。
参考書を読んでも、その文章の意味が理解できないがために問題が解けないといった声も聞きます。これは小学生にも言えることですし、高校生にも同じことが言えるでしょう。パソコンは毎日のように開くのに、本のページをめくるのは唯一教科書だけ。そんな学生さんが非常に多いようなのです。本を読むことをもっと生活に取り入れていくべきなのではないでしょうか。

お手紙の良さ

先日、友人のお子さんから可愛らしいプレゼントを貰いました。折り紙で折った動物と、つたない文字で書かれたお手紙でした。
思えば、私はもう何年も年賀状以外でお手紙を貰ったことがありません。また、私が誰かに手紙を出すということもすっかりなくなってしまいました。こうして久しぶりに手紙を貰うと、思った以上に嬉しく感じるものなのですね。新鮮な驚きと喜びを体感したように思います。
手紙には「力」があります。普段言えないようなこともなぜか手紙にするとスラスラ書けてしまいます。まるで相手が目の前に居るように感じ、語りかけるように文字を綴るのです。昔、「文通」が流行った時期がありましたが、今回のことで文通の良さがなんとなく分かったような気がします。今はネット社会ですから、国内のみならず海外の人とでも簡単に繋がれてしまいます。小学生、中学生でもメールでのやり取りを楽しんでいます。それはそれで便利ですし、発展と共に交流の仕方が変化していくのは当たり前のことでしょう。ですが、「手紙」という昔ながらのやり取りというものも、時にはいいものかもしれません。新しい発見が出来るかもしれませんし、手紙をしたためる柔らかな時間に夢中になるかもしれませんよ。

読書で脳の活性化

人は死ぬまで学びを深めていくことができると思います。いつでも成長することが出来ますし、可能性というものはいつも自分の中で眠っているのではないでしょうか。
人間の脳は、そのほとんどが使われていないことはすでにたくさんの科学者たちが証明していることです。そんな「ほぼ冬眠」状態のままで、加齢と共に衰えていってしまうのは非常にもったいないことだと感じてしまいます。どうにかして、私たちの眠れる脳を活性化させることはできないでしょうか。
私が思うに、「読書」は一番手軽に、そして誰もが出来る「脳の活性化法」なのではないでしょうか。文章を読むこと、それ自体もとても有効な作業だと思うのですが、それだけではなく、本を読むことで人は色々な「疑似体験」をすることが出来ると思うのです。どれだけ感情移入できるか、どれだけ想像力が豊かなのか。それにもよるとは思いますが、読書は私たちを違う世界へ連れていってくれるように感じます。
男は女になり、看護師になり、警察になり、時には犯罪の被害者、そして加害者に。普段考えられないようなことが、本を読むことで自分の世界になるのです。このことは、私たち人間の脳に大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。本を読むことの魅力のひとつとして、皆さんにそのことを知ってもらいたいのです。

本を読む意思

私は昔から本を読むことが好きで、まるで日課のように本を開くのですが、知人の中には読書の習慣などない、それどころか活字に対して苦手意識を抱いている人が少なくありません。
私にとって活字とは日々を潤すことができる魔法のようなものですし、自分を人間的に成長させ、豊かにしてくれるものだという考えでいます。本を読むことが好きではない人にとってはそれが苦痛でしかないことは理解出来ますが、それでも出来るだけ本を読んで欲しいな、と感じることがしばしばです。
特に、「これはすごい本だった!」「いい本を読んだ!」と達成感を感じた後は色々な人にその本をおススメしたくなりますし、本が苦手なあの人もこの本なら読めるのではないだろうかと期待してしまうこともあります。ですが、やはり若い頃から読書の習慣がないその人たちは、例えどんなに面白い本であっても読了まで至らないことがほとんどです。「最初は面白かったんだけど…」と苦笑いをされてしまいます。その度私は思います。どんなに素晴らしい作品であっても万人に受け入れられることは難しいし、本は人に無理やり進められて嫌々読むものではないのだと。本人の意思でページを開かなければ意味は無いのかもしれません。

童話や昔ばなしの教え

小さい頃、誰もが夢中になってそのストーリーに耳を傾けたであろう「童話」。日本で言えば昔ばなしでしょうか。
世界には、たくさんの有名な話が存在し、それが映像や音楽と重なると、物凄く印象的な作品へと変身します。私も幼い頃はテレビで流れる昔ばなしや童話を真剣に見ていました。
中にはいわゆる「トラウマ」にもなり得るような生々しい話、恐ろしい話もあり、それらは今でも記憶に鮮やかに残っています。昔ばなしや童話は、ただ面白い、綺麗なお話というだけではなく、深い教訓を含んだものが実はたくさんあるのです。子供の頃にはその意味がよく分からないかもしれませんが、「悪い事をすると鬼がくる」「嘘をつくと罰があたる」といった部分は印象深くいつまでも胸に残り、知らず知らずのうちにたくさんのことをそれら物語の中から学んでいるのではないでしょうか。だからこそ、時代が流れてもそのお話はほぼ形を変えずにそのまま残っていますし、親が子に語り継ぐことで、先祖からの教えを伝えていくことが出来るのではないかと思うのです。これからもその役目は未来の子供たちへと脈々と続いていくことでしょう。それを途切れさせないことが私達の大事な役割なのかもしれません。

日本語と愛国心

日本語には、独特の表現がたくさんあります。季節や時間帯によって使い分けたり、例えば「はんなり」など、説明しがたい言葉があったり、日本人ではあってもその難しさや奥深さには考えさせられるものがあります。
ですが、それらの「日本独特の表現」も、時代と共に大分変化しているのではないでしょうか。それは、海外の流行が多く取り入れられてきたことにも関係するように思います。
最近では、女子高生が作った造語も多く聞かれ、残念なことに「日本語の美しさ」というものが少しずつ損なわれていっているような気がしてなりません。私たちが生まれ育った日本の文化、習慣は、海外からの評価が高いものが多く、日本の文化に惹かれる海外の方も多く存在しています。日本人は、愛国心が薄いという言葉もよく聞かれますが、それは少し残念なことです。日本語の美しさや意味など、調べてみると本当に奥が深いものだということが分かります。それぞれの言葉に込められた祈り、想いというものを感じることは、自国の文化について触れるとっかかりとして一番の近道なのではないでしょうか。日本語とは、とても美しいものです。それらをきちんと使えることが愛国心にも繋がっていくのかもしれません。