自由な学校で元気に学ぶ

外国に住む知り合いの子供が、来年小学生になるそうです。あちらは、日本とは違って様々なスタイルの学校があるそうですね。親が、その子を通わせたいと考えているのは、こちらでいうフルースクールみたいな感じなのかしら。学年の区分がなく、決まりきった教科書を皆で学ぶというところではないのですって。
そのようなところだと、先生が大変そうと思ってしまうのは、私が、皆が教室に集まって、黒板を見つめて授業を受けるというスタイルを、オーソドックスなものと認識しているからでしょう。もちろんどちらが優れているとは、一概には言えません。その子の性格や親の考え方、他にも国民性などの問題もあるからです。
ただ私は、そのような学校に通ってみたいと思いました。一日好きなように、といってもある程度のカリキュラムはあるのでしょうが、それでも自由に過ごせるというのは、とても魅力的です。せめて幼少期だけでも、そうやって興味を伸ばして行けたら。知人から聞く話と、テレビや本の知識でしか知らない知識から、そんな夢を描いています。もちろん、成人になっている私は、もう縁のない場所なのですけれどね。彼女の子供が、その場所で過ごすことにより、素敵な大人になりますように。遠い未来を、楽しみにしています。

老眼に優しいタブレット

先日眼科に行ったら、眼鏡トライアルをしているご年配の方がいました。要は、今まで使っていたレンズでは強制力が弱くなっているから、新しいものを作るために、視力検査をしているということです。「普段どのくらい目を離して、新聞を読みますか」「パソコンはノートパソコンですか、デスクトップですか」という質問もありましたよ。今まで考えた事はなかったけれども、パソコンのタイプによって、ディスプレイと目の距離が違うから、調整法にも違いが出るということなのでしょう。
そういえば、老眼が始まっている知り合いは、画面に合わせると手元の資料が見えないから困る、と言っていました。それで、作業の多くはタブレットでするようになったのですって。「あれなら見えなければ目に寄せればいいからね」とのこと。文字の拡大も自由なので、今はもっぱら、読書も電子書籍愛用なのだそうです。なるほど、と思いました。
そう考えると、電子機器というのは、使い方さえ覚えてしまえば、すべての年代に優しい代物だと言えるでしょう。ただもともと機械を扱っていない人には、そのハードルが高いそうです。年上の知人には、以前若い友人が、つきっきりで教えていましたし、今でもトラブルがあると、質問攻めにされたりします。

作品を応援する最大の力

週に一度、インターネット上で公開されている連載漫画を読んでいます。毎週楽しみにしているのですが、気になることがひとつあるんですよね。なんとこの漫画、無料なんです。確かに今このようなコンテンツは少なくないけれど、お金をとらないなんて、出版社は大丈夫なのかしらと心配になってしまいます。それともこの連載が宣伝になり、コミックスが売れるからいいという考えなのでしょうか。
これは、ゲームにしても同じことが言えますね。無課金でも、課金しても楽しめますというものが、非常に多いように思われます。ただゲームの場合は、お金をかけようと思えばいくらでもかけられるんですよ。しかし書籍はそうはいきませんから、申し訳ないやら嬉しいやら、相反する想いを感じることになるわけです。
だからこそ、コミックスになったら、発売日に早々買っています。どうしたって、応援する方法はこれしか思いつかないのですもの。素敵な作品には、それなりの対価を払い、作家さんに次も描いてほしいというのが、ファンの最大の希望です。願わくば、お気に入りのキャラたちが、物語の終わりまで滞りなく生きていけますように。私はそれを毎週、見守っていくことで、活力を得られています。

積読本に愛再燃

もうだいぶ長い月日積読になっていた本を、やっと読みました。そろそろ廃品回収が近く、目を通さないまま出してしまおうか、それとも一度はページをめくろうか、考えた末に後者を選んだのです。残念ながら、購入した時の気持ちの勢いはもうなくなってしまっていたのですが、その内容の面白かったことといったら!よく調べて書かれたのがわかるストーリー、いろいろなところに貼りめぐされた伏線、そして素敵な登場人物たち……どうして今まで読まずにいたのだろうかと、すぐに後悔しました
しかし、遅くはなったけれど、読了して本当によかったです。とりあえずお試しにと買った一冊だったので、ぜひ続刊も集めていきたいと思います。なるべく早く書店に足を運びましょう。オンラインショップでもいいけれど、実店舗でずらりと表紙を眺めて買えば、気持ちもさらに盛り上がりますよね。
こう言っては勿体ないのですが、次々と新しい本が出るので、一度積読になってしまうと、そのまま放置ということも珍しくはありません。しかしそれを読みたいと思ったときの気持ちに嘘はないのだから、やはり一度は読む時間を作れるよう、今後はもっと頑張りましょう。それができれば、今回同様、素敵な作品に出会えるのですからね。

穏やかな心の為に流すもの

朝目覚めて、日光を浴びて清々しい気持ちになっても、一日その気持ちが続くことはなかなか難しいものです。突然問題が持ち上がったり、体調が良くなくなったり。以前はそれで、落ち込むこともありました。しかし最近は、ちょっとだけ違います。たいていのことは、仕方がないと受け入れられるようになったからです。もちろんこれは、諦めとは違いますよ。あるがまま、それを悩むよりは、少しでも改善すべく、思考を巡らせた方がいいと気付いたのです。
だってたとえば、一日悩んで、その日に読もうと思っていた素敵な本を読むのを先延ばしにしたら、その日が勿体ないですよね。それは、楽しみにしていた小説が出た当日、それを手に取ることができなかった思い出が関係しています。学生時代、それで友達との話題にまるでついて行けなかったうえに、聞くものすべてがネタバレという日があり、とても悲しい思いをしたのです。
気にしていたのは本当に些細なことだったので、後から、どうしてあんなことを考えていたのだろう、とずいぶん後悔しましたよ。以来、少々のことはさらっと流して、あるいは笑い飛ばしてしまうように心掛けています。もちろんいつでもできるわけではないけれど、なるべくなら、毎日楽しく過ごしたいんです。

見方を変えてプラス思考

いつだったか、海に行ったときのことです。外国の特別に美しい場所というわけでもなく、どこにでもあるような、日本の小さな港だったのに、唐突に、私はこの先が世界中に繋がっているんだなと、胸が熱くなりました。それより前に、ちょうど歴史ファンタジーを読んでいたせいかもしれません。
その話の中では、国と国が争い、多くの兵士がなくなり、それよりもたくさんの国民たちが、過酷な暮らしをしていました。逃げたくとも場所はなく、実行すれば反逆罪として扱われます。主人公たちはそれを変えていくべく、戦っているのです。
これは創作でも、実際遠い昔には、世界は確かに、このように争っていたのですよね。国境など地面に引かれているわけではないのに、それをいかに広いものにするかを考え、武器をとって戦って。それを意識すると、今の平和な日本、この世の中が、とても素晴らしいものに思えました。
当たり前と感じている日常の中にも、見方を変えれば、こんなにも素敵なものがあるのですね。日々の生活を変えるのは、いろいろなしがらみもあり、難しいところ。それならせめて柔軟な思考を持って、今のままの枚に力、少しでも幸福を得られるようになりたいと思いました。

柔らかい音、冷たい漢字

親戚のおじさんが、レコードを集めているそうです。今は音楽と言えばダウンロードかCDの販売がほとんどですから、かなりの年代物と言えるでしょう。ただ私は話を聞いただけで、残念ながら音楽は聞いたことがありません。しかしおじさんも父も、レコードだと音が柔らかいというのですよ。なんとなく想像はつきますが、それでも、不思議な表現だなあ思います。
ですがこれは、私が「カタカナよりもひらがなのほうが女性的」と言うのと同じなのかもしれません。直線よりもカーブが多いから、柔らかい印象を受けるのです。私と同じように読書好きの友人は、すごく納得してくれましたね。ちなみに漢字が多いと、見た目に冷たく感じると思っています。
音や文字を見て硬度や温度について考えるなんて、本当に人間の感性というのは、面白いですね。そう言えば、ワインが好きな友人は、この味は丸みがあるとか、尖っているとかいていました。まさか舌を転がるわけでも、突かれるわけでもないでしょうに、これも見事な表現です。もしこの三人が同じものを見ても、きっと感じ方はまるで違うのでしょうね。これが感受性というものなのかしら。私もいつか、レコードを聞きたいし、ワインも美味しくいただきたいものです。

書店で会うのは運命なんです

最近、新刊情報は作者のSNSで知ることが多いのですが、それを見るとすぐに、オンラインショップで予約をしてしまうんですよね。以前は便利だと思っていたそれが、最近は悪い癖だなあと感じるようになっています。欲しい本はワンクリックで買えると思っているから、書店に行く頻度が明らかに減ったのです。
これはすなわち、自分が新しいものに出会う可能性を、自ら潰している……と言ったら、大げさでしょうか。でも私は、そう思ってしまいます。今までにも、書店の平積みの中から偶然手に取った作品に、大きな感動を貰ったことがあるからです。
あるいは、わざわざ店に行かなくても、どこかで出会う可能性はあったかもしれません。でもインターネットで面白そうな本を見たとしても、私は初見さんだと、すぐに購入は決めないのですよ。だって、ちょっとピンときたからという理由だけで、それをクリックしてレジに進んでいたら、いっきにお小遣いをオーバーしてしまうんですもの。そうならないためにも、自制心が必要なのです。でも書店だと、次に来た時はないかもしれないと思って、思いきってしまうんですね。だからこその出会いなのですが……やっぱりそれも、大事にしたいです。

読書がもたらす幸せ

以前、面白い記事を読みました。人は、六分間読書をするだけで、ストレスが緩和されるというのです。いったいどうしてこんな調査をしたのか、きっかけも気になったのですが、それよりも、六分という時間に驚きました。短いですよね。日に長時間本に触れるのは難しくとも、これなら頑張ろうという気持ちになってきます。
確かに、週に何冊とか、一日一時間とか決めて読書をできれば、それは素晴らしいことでもあります。また、学生時代は、知識の向上や読解力を深めるために、そういうことも必要でしょう。しかし大人は、資格試験の勉強でもない限りは、最初の目標は低くていいと思うのです。毎日少しずつページを開く癖をつけて、ストレスを解消できれば、それだけで読書の価値は十分あるのではないでしょうか。
だからといって、きっちり六分はかって、というのもナンセンスですけどね。ちらっと表紙を開けてみて、数ページ読んだ後、「ああ、これだけしか進まなかった」と考えるのではなく「今日はこれで元気になれる」と感じられたら、一番でしょう。つまり、小さなことにはこだわらず、ちょっと頑張った自分を肯定してあげるということです。お疲れ様、今日の私!といったところですね。

善意と本のリサイクル

昨日、友人が大量の本を抱えて、我が家に遊びに来ました。「それどうしたの」と聞けば、なんでも知人が要らなくなったものを、貰ってきたのだとか。「欲しいものがあったらあげようと思って」と言うので、折角だからと、一冊ずつ見ていきました。するとジャンルが全くバラバラなのですよ。ベストセラー小説あり、人気のコミックスあり、エッセイあり。ずいぶん趣味が広いだなあと思ったのですが、後に知り合いは、カフェを開いているのだと知りました。常連さんがくれる本を置いているそうで、今回はその入れ替え時期なんですって。
確かに、古書店に売るのはちょっとためらうくらいの傷み具合でしたからね、納得です。図書館に予約をしたものの、何十人待ちとなっている小説を貰うことができ、得した気分です。私の家族が通う病院でも同じように、患者さんが漫画を持ち寄っているので、まるで漫画喫茶のようになっているのですよ。どこも素敵な繋がりがあるのですね。
今回のことで、自分が不要になったものを、こうやって、必要な人に貰ってもらうこともできるのか、と実感しました。次に書棚整理をする時は、私もどこかに寄付しようかしら。廃品回収に出されるよりは、本も嬉しいでしょうからね。